伝わるように伝えるという事
ブログを書いていない時期に、ブログを書くことそのもの、
ひいては発信、意思表示、伝達という作為を少しメタ的に考えていた。
(書いていないので覚えていない逡巡も多い…)
これからもブログを続けようと思うので、昨日今日考えたことを少し書き残す。
労働していると、「伝わるように話せ」とよく言われているように思う。
私は正直喋るのが下手だ。
営業担当を任されていた頃はメールを必要に応じ、詳細を書き(速報は短文で)、
その後誤解が無いように電話や面前で補足する、という事をよくやった。
何度も続けたが次長や部長の覚えは良かったので、特に方法上問題なかったのだろう。
つまりは仕事上の連絡・共有で支障なかった、伝わった。結果論的に「伝わった」のである。
とすると、「伝わるように話せ」という表現(格言?)は結果責任上の論理によって成り立っている、と仮定しうる。
主体が「伝わるように話す」→伝達が未成立の場合「伝わるように話せていない」ので、
翻って主体は「伝わるように話せていない」となる。
しかし(正確に?)伝わった場合、主体は「伝わるように話した」という事が背反によって成立する。
(とどのつまり、上記の格言は循環論法なのだ。)
上記の論理を、原理的に捉え延長していると喋る主体において、
結果に対して決定権や裁量がない、運任せでテキトーに話してよいという理屈が成立しうる。
いや、これは誤っている。
本質的には「伝わるように話せ」という言葉はなんら情報伝達の肝を捉えていないのだ。
やや唐突だが、昨日ネットなどで放映中の ぼっちざろっく というアニメを知り合いに見せてもらった。とても面白かった。
コミュニケーション下手な人間として上記の話を踏まえてこのアニメに一言触れておきたい。
各話一回しか見ていないので深堀もできず不正確であることを許してほしい。
このアニメのあらすじは、自己撞着的で己に自信がない主人公とバンド仲間たちのお話だ。
主人公は過去の暗い話や先に起こる怖い事から発言がうまくいかなかったり、
軽いフラッシュバックを起こしている。
(おそらく話が進むにつれ、少しずつ過去の時分から抜け出している)
私に当てはまることが多いので、メタ的になぜこういう事(脚本、ストーリー)に、登場人物が進んでいくのだろうとみていた。
私の解としては 主人公は何を話すかに囚われすぎて、(逆説的に)「伝わるように話そう」とするあまりに、「伝わっていない」のである。
象徴的には登場人物の服装である。
序盤において主人公は、人前ではどこでも、話の途中までほぼジャージ姿である。
反対に舞台となる高校や下北沢の人々の服装は制服だったりオシャレな姿だったり。
どこにいても主人公の姿はピンク色の異分子の格好である。
「自分達」やイベント特有の格好をしていない人の言葉を、すぐに理解して、
場合によって協力しようという人がいるだろうか。
構えて捉える人が多いだろう。
ストーリー上主人公は知り合いや頼る人が少ないので、
主人公は主人公の言葉以外で周囲の状況や困難を打開、交友する術がない(メタ的に登場人物は主人公がいつもジャージ姿=異分子の服装だと認識している)。
しかし主人公は言葉で何とかしようと焦ってしまうため、拙い表現で(時には肉体をこわばらせて)すべてを伝えようとする。しかし、伝わらない(だが伝えたい意志はある)。
立場や意見をはっきりさせられないので関係がうまくいかない。
(ぼっちのジレンマ?ループ?かな。ストーリー上の序盤だけだろうか)
話を戻すと、とどのつまり「伝わるように話せ」ということは、
私の理解では一度の会話で人間が情報共有しうることを軽視した甘い目測による表現なのである。
事前の人間関係、準備、根回しによって伝わることが大きいと仮定できるだろうか。
このアニメの主人公は、小細工の言葉ではなく「ミュージシャン」としての実力(バンドマンとしての共有言語=音楽=演奏=行動としての教養)によって自分を知らしめていくように見えるのだが…これはまた別の話。
(服装も変わっていくようだし、ストーリー上はここが見ものなのだが)
よくわからないまま筆が進んでしまった。
国語の評論じみている?まあ良かろう。
おわり